The 8th International Symposium on Ethical Literary Criticism

The 8th International Symposium on Ethical Literary Criticism

About IAELC (The International Association for Ethical Literary Criticism)

Welcome to The International Association for Ethical Literary Criticism (IAELC).

IAELC is devoted to the study of world literature from the perspective of Ethical Literary Criticism. Our aim is to provide a forum and resource for scholars and advanced students all over the world to share their findings in the study of literature and ethics. Established in 2012, IAELC provides a medium of communication for scholars interested in Ethical Literary Criticism founded by Professor Nie Zhenzhao in Central China Normal University and expands the possibilities for studies on Ethical Literary Criticism through an annual international conference and an annual publication of Ethical Literary Criticism: The Journal of IAELC.

In the past several years, IAELC has successfully hosted seven annual conferences, most recent of which are The 4th International Symposium on Ethical Literary Criticism (Shanghai, De. 19-21, 2014), The 5th International Symposium on Ethical Literary Criticism (Seoul & Busan, Oct. 1-7, 2015), The 6th International Symposium on Ethical Literary Criticism (Estonia & Tartu, Oct. 1-7, 2016), and The 7th International Symposium on Ethical Literary Criticism (England & London, Aug. 7-13, 2017). The 8th annual conference will be held in Fukuoka of Japan from July 27th to July 30th, 2018.

With the passage of time, IAELC and its proposed ethical literary criticism catch increasing attention from the world, which are evidenced in several journal special issues, such as “Ethical Literary Criticism: East and West” in arcadia: International Journal of Literary Studies 50.1 (2015), “Fictions and Ethics in Twenty-First Century Fiction” in CLCWeb: Comparative Literature and Culture 17.5 (2015), and “Ethical Literary Criticism” in Universitas- Monthly Review of Philosophy and Culture 42. 4 (2015), as well as a long commentary from TLS: Times Literary Supplements on July 31st, 2015.

The Executive Committee of IAELC is responsible for all business arising from the Association’s operations in fulfilling its mandate. The Committee meets regularly to deal with the business of IAELC and plans for the annual conference.

The current members of the Executive Committee are

Past President Yuanmai Wu(Chinese Academy of Social Science, China)
President Claude Rawson(Yale University, USA)
Executive Vice President Zhenzhao Nie(Zhejiang University, China)
Vice President Knut Brynhildsvoll(University of Oslo, Norway)
Youngmin Kim(Dongguk University, Korea)
Wolfgang G. Muller(University of Jena, Germany)
Igor Shaytanov(Russian State University for the Humanities, Russia)
Juri Talvet(University of Tartu, Estonia)
General Secretary Hui Su(Central China Normal University, China)
Deputy Secretary General Pik Wah Fan(University of Malaya,Malaysia)
Peter Hajdu(Hungarian Academy of Sciences,Hungary)
Daegeun Lim(Hankuk University of Foreign Studies, Korea)
Biwu Shang(Shanghai Jiao Tong University, China)
Songlin Wang(Ningbo University, China)

Membership of IAELC

The bulk of IAELC’s membership is university teachers, academics and postgraduate and doctoral students, but we welcome members from all walks of life with a serious interest in the study of literature and ethics. Although based in Wuhan, China, IAELC is open to members from all countries.

Membership of IAELC is available by the following two ways:

  • Recommendation by the current members of the Executive Committee of IAELC.
  • Individual application by participating at an IAELC conference.

*Applicants should fill the form of application attached (IAELC Membership Application Form).

Enquiries about Membership

Enquiries about joining IAELC or about its activities should be directed to Prof. Songlin Wang, Secretary of IAELC, Ningbo University (Ningbo, China) at ELC2013@163.com

Address Faculty of Foreign Languages
Ningbo University
818 Fenghua Road, Jiangbei District
Ningbo, 315211, China

文学倫理学批評とは何か

一、文学倫理学批評の生まれた背景

人類は倫理を表すために文字を作り出し、それを使って日常生活および人類自身が倫理に対する理解を記し、そこでテキストが生まれ、最初の文学が誕生したのだという点から、時代、国別、ジャンルの如何を問わず、すべての文学は倫理的な読みが可能になると考えられる。倫理批評の歴史を考察してみると、古代ギリシアにまで遡れるが、1960年代以降、民権運動、反戦運動、学生運動、女性解放運動、環境保護運動などの高まりとともにピークを迎え、批評の倫理性を強調するフェミニズム批評、新歴史主義批評、文化批評などが盛んになった。特に、アメリカの倫理批評は、ウェイン・C. ブース氏(Wayne Clayson Booth)によって大いに推進されたが、90年代に入ると急速に衰えていった。リチャード・アレン・ポズナー氏(Richard A. Posner)は、西洋における倫理批評は独自の概念や理論の特色がないため、方法論として確立できなかったと述べている。

一方、中国における文学批評は西洋から強い影響を受けている。改革開放政策が実施されて以降、学術界では欧米からの文学理論と批評方法を積極的に吸収する態度が見られ、外来の文学理論が共存する状態にある。西洋から中国に輸入された文学理論と批評方法を分類すると、以下の三つに分けられる。第一に、形式の価値を強調する形式批評である。第二に、文化と権利との関係、文化とイデオロギーの覇権主義との関係などの分析を中心とした文化批評である。第三に、フェミニズム批評、環境批評、新歴史主義批評、ポストコロニアル批評などのような、政治、社会の視点から展開される文学批評である。以上の文学批評は、政治、道徳、性別、種族などの角度から研究を展開してきたとはいえ、結局のところそれぞれの出発点、つまり形式、文化、性別、環境などに関する問題に行き戻ってしまい、倫理とは次第に遠くなっていった。

西洋文学理論と批評方法の影響の下で展開してきた中国の文学批評には、以下のような特徴が見られる。第一に、文学批評が文学から遠く離れて、理論コンプレックス(Theoretical Complex)、命題コンプレックス(Preordained Complex)、術語コンプレックス(Term Complex)の傾向が著しい。第二に、「芸術のための芸術」という文学観の影響のため、倫理的価値よりも文学作品における美的価値が重視されている。第三に、市場経済の影響の下で、倫理的価値が排斥され、文学作品の商品としての価値を強調する傾向が見られ、ヒットチャートや定価などが文学作品の価値を判断する基準となっている。

こうした学術背景と時代背景から、聶珍釗氏によって文学倫理学批評唱えられた。聶珍釗氏は、中国の伝統的な道徳批評を基礎に、欧米文学批評の理論と方法を参考にしたうえで、世界の学術界における中国の発言力を高めるため、中国独自の文学批評理論システムを作り上げ、上記の諸問題に対応しようと試みている。したがって、聶珍釗氏によって唱えられた文学倫理学批評は中国の発展の流れに適合していると言っても過言ではない。

2012年習近平主席をはじめとする中国政府は、「中国の夢」という中国の思想を発表した。習主席は、誰しも理想や追い求めるものであり、誰でも自らの夢があるが、中華民族の偉大な復興の実現が、近代以降の中華民族の最も偉大な夢なのだと指摘した。中国の夢とは、国家の富強、民族の振興、人民の幸せを実現させるものである。特に注意すべきなのは、文学と芸術の復興も中国の夢の重要な一部分であり、中国の夢を実現させるためには文学と芸術の役割が重視されなければならない点である。なぜなら、それらを通して伝達された真善美の価値観が国民の道徳修養を高め、また倫理的秩序のある生活を求めるにも、非常に役にたつからである。現在、文学領域において最も際立った問題は、倫理的配慮と道徳的価値の欠如である。したがって、習主席によって唱えられた「中国の夢」は工業化と享楽主義によってもたらされた一連の文学における問題に対する適時な対応であって、中国文学を伝統的道徳価値に復帰させようとの呼びかけだと言える。アメリカの学者William Bakerと中国の学者尚必武の共同執筆の論文で述べているように、聶珍釗氏によって唱えられた文学倫理学批評は習主席の呼びかけに対する学界からの返答である一方、ただの政治的呼びかけに対する返答だけではなくて、工業化、商業化で主導されるこの時代に対する倫理的配慮でもある。(1)この十数年、聶珍釗氏及び彼の研究チームはこの崇高な目標のために努力し続けている。

聶珍釗氏の文学倫理学批評が初めて提唱されたのは、2004年10月であった。中国の著名学術誌『外国文学研究』がその基本理論、研究対象、研究内容を紹介する論文を掲載した。(2)その後、十年のあいだに著しく発展を遂げ、2014年3月に中国国家社科基金からの支援によって書籍として出版された。現在、聶珍釗氏の文学倫理学批評は、すでに西洋の倫理批評や、中国の伝統的道徳批評とは異なる、独自の理論構築と言語システムと作りあげた。特に、数多くの西洋からの学者の参加は、文学倫理学批評のこれよりさらに発展することと国際化されることを促している。

二、文学倫理学批評の基本的特徴

文学倫理学批評とは、文学の倫理的価値と教誨機能を強調し、倫理という視点から文学を読み、分析し、解釈する批評方法である。聶珍釗氏の考えでは、文学とは本質的に倫理に関する芸術である。その基本的な機能は、読者に道徳的な教誨を提供することにある。したがって、文学倫理学批評は以下の五つの面から批評を展開する。第一に、作者の道徳観と生きていた社会にとどまらず、その道徳観がいかに作品の中に表現されたのかまで考察する。第二に、現実世界に起こった道徳に関する出来事と、作品から読み出された道徳に対する態度や理解などとの関係を考察する。第三に、作品から反映する道徳観が読者や社会にどのような影響を与えたのか、また読者が作者に対する及び作品における道徳についての認識に対する評価はどのようなものかについて考察する。第四に、作者の道徳的傾向が同時代のほかの作者及びその作品に与えた影響を考察する。第五に、作家の道徳観及びその作品における道徳的特徴を分析し、倫理の角度から文学と社会、文学と作者の関係、またそれに関する諸問題を考察する。

しかし、文学倫理学批評は単に倫理的視点から文学を批評するにとどまらず、史的唯物論の立場に立って批評を展開するため、アメリカの倫理批評及び中国の伝統的道徳批評より独自の特徴を持っている。例えば、倫理に関する諸問題を分析するとき、当世の道徳的規範に従うのではなく、史的唯物論の観点から出発し、作品の創作された時代に行き戻り、その時代に通用していた道徳的規範に従って作品の倫理的価値を発見するのである。つまり、文学倫理学批評は、文学テキストを研究対象とし、倫理的な角度から作品における人間と人間、人間と社会、人間と自然との関係を把握したり、人物の倫理的身分とその変化及び異なる倫理環境における人物の各倫理的選択を分析したりするのである。つまり、人物の倫理的身分や倫理的選択に対する分析を通して、作品における倫理的教誨機能を果たそうとしているのである。

三、文学倫理学批評の基本観点

(一)文学の起源について

文学の起源というと、古今東西のいろんな説がある。例えば、自然模倣説、浄化(カタルシス)説、労働説などである。文学倫理学批評の観点では、文学とは特定の歴史段階における倫理観念と道徳生活に対する独特の表現様式であり、本質的に倫理に関する芸術である。最初の段階では、人間は自分を抽象的に認識しえないままであったが、理性が成熟するにつれて、実生活において直面しなければならない問題がますます多くなった。例えば、どのようにして病気や自然災害を解釈するのか、どのようにして物事の価値を判断するのか、どのようにして自分の生活様式を選ぶのか、どのようにして人間自身を理解するのかといった問題であり、それらについて人間がだんだん考え始めるようになった。未開状態から文明へと歩んできた人間にとっては、以上の問題を考える必要があるにはとどまらず、それに対する答えも適切に提出しれなければならなかった。このように書いてきたが、文字が生み出される以前の時代について考証することは不可能であり、最初に人間がどのように考えたのか、そしてどのように解釈したのかは確認しようがない。しかし幸いなことに、個人生活及び考え方を記録できる文字が創られて以来、人間は文字で構成されたテキストを通して自分の考えを表現できるようになった。だからこそ、今、われわれはテキストを通して、人間がどのようにして歩んできたのかを理解することができるのである。人間は自分の理性を発達させ、成熟させる過程で、実践活動によって創られた文字を利用して、自分の認識や理解したものを記録し、それにより一番古いテキストが生み出された。これが最初の文学であり、まさにこれが人間の倫理についての考えを表そうとするために生まれたものである。


(二)自然的選択と倫理的選択

人類文明が発展するプロセスの中で、人間の面する最大の問題は何であろうか。それが人間と獣を区別して認識すること及び人間になるか動物になるかといった、自己の倫理的身分を選択することである。

19世紀の中ごろ、ダーウィンは進化論を確立し、自然的選択(natural selection)によって全生物界の誕生及び発展に関して科学的な解釈を行った。進化論の観点から人類の歴史を考察すれば、人類文明の誕生は人間が自分で選択した結果であることが分かった。人類文明の長い発展史の流れの中で、人間は二回の自己選択を果たした。猿から人間への移行は、人間の進化過程における一回目の選択つまり自然的選択であり、ただしそれは生物的選択にすぎない。その選択により得た最大の成果は、人間は人間の形式、つまり人間の外形を持つようになったことにある。例えば、進化によって立って歩けるようになった足、道具を使える手、合理的に配列された五官と四肢などである。それにより、人間は自分を形式からほかの動物と区別することができた。

しかし、一回目の選択は根本的に人間とは何かという問題を解決できなかった。すなわち、本質的に人間を獣から区別できなかった。ダーウィンは、自然的選択と進化に関する理論によって、人間がある低級な生き物から進化してきたものであることを論証した。さらに、人間が低級な生き物と同じように持つ同源的構造によって、人間がある低級なものから発展してきたものであることを証明した。ただし、ダーウィンは物質の形態から人間がどのようにして今まで発展してきたのかを述べただけで、人間が人間である原因、すなわち人間がほかの動物との本質的な区別はどこにあるのかについては、はっきり答えられなかった。

エンゲルスも人間の起源について全面的に論じたことがある。彼は、人間が労働によって創り出されたのだとの観点を提出した。1876年にエンゲルスは「猿が人間になるにあたっての労働の役割」という文章を書き、その中で人間が動物から分離された根本的な原因が労働にあることを指摘した。(3)古代の類人猿はもともと群れで熱帯と亜熱帯の森林に生息していて、食物を探すためその一部が地上に降りて活動し始め、二本足で直立しながら歩くようになることで前肢を歩行の目的から自由になり、そして石ころや木の棒などを使えるようになって、ようやく最後に手で道具を作れるまでに進化した。と同時に、大脳を含め、体質も相当に発達し、様々な人間的特徴が現れた。したがって、エンゲルスの観点の核心は、労働が猿を人間へと進化させてくる過程で果たした役割を強調するところにある。手こそ労働の産物であり、その発達が全身の筋肉に変化を起こした。その後、労働の中で言語が生まれ、言語がまた労働とともに猿の脳髄を人間の脳髄へと発達させた。だから、労働は人間が猿から移行してくる過程における決定的な力である。

しかし、エンゲルスの労働に関する理解は、生物進化論にまで超越することはないので、ダーウィンの自然的選択の理論を具体化したものに過ぎない。人間が猿から進化してくる過程において労働が重大な役割を果たしたことを疑う余地はない。しかし、進化したのは労働ではなく、人間自身である。労働の概念によっては、人間を猿から区別させたものがいったい何なのかという質問には答えられないのである。進化した人間にはなぜ進化中の猿及びほかの動物とは根本的な違いがあるのか。これこそがエンゲルスには答えられなかった問題であり、労働という概念でなかなか解明できない問題である。こう考えてみると、エンゲルスはダーウィンと同様に、自然的選択の理論によって人間がどのようにして今まで進化してきたのかを解明できただけで、人間のほかの動物との本質的な区別がどこにあるのかについては解明できなかった。

人間の自然的選択と倫理的選択は、異なった本質の持つ二種類の選択であり、前者は人間の形式的な特徴を区別するものであるのに対して、後者は人間の本質に関わる部分である。人間を動物から本質的に分離させたのは、倫理的選択(ethical selection)である。『聖書』の中のアダムとイブの話をもって説明してみれば、エデンの園に最初に現れた人間はただ生物学的な人間であり、畜生、昆虫、野獣などの生き物と違った外形を持っていたが、知恵もないし、獣とは同じものだと言えよう。そういう人間は、最初に自分がほかの生き物と区別に気がついていなかった。獣の一部分として、全裸で暮らし、空腹になると木の実を食べ、渇いたら河の水を飲み、自由自在で、心配することもなくて、非常に楽しかった。しかし、イブは知恵がもらいたがったため、善悪の知識の樹から実を摘んで食べてしまった。その上、隣にいるアダムにも食べさせた。イブとアダムは善悪の知識の樹の実を食べて、知恵をもらってしまった。そうして、裸を恥ずかしいと思い始め、照れ隠しをするために無花果の葉を綴って裳を作った。アダムとイブは、善悪の知識の樹から実を食べてから善悪を分別できるようになり、倫理的選択の段階に入った。つまり、生物学的な人間から倫理意識の持つ人間に進化した。したがって、自然的選択は進化により実現されたことに反し、倫理的選択は教誨により実現されたのである。それによって、人が善悪を分別でき、正しい倫理的選択ができるようになるのである。


(三)スフィンクスファクター

スフィンクスは古代ギリシアの神話の中のイメージである。彼女はテーベへ行く十字路に座っていて、通行人に一つの謎かけをし、もしその人が答えられなかったら、殺される始末となった。スフィンクスの謎は、強い象徴的な意味を持っている。朝には四本足、昼には二本足、夜には三本足で歩くものは何か。この謎の答えは、人間である。テーベの人々はなかなか正しい答えを答えられなかったが、後にオイディプスはその答え――人間を、ちゃんと言い当てた。人生の朝には、人間はまだ赤ちゃんの段階であるから、手と足で這って歩くので四本足、人生の昼になると、人間は力強くなったので二本足、人生の夕方には、高齢で体も衰えて杖をつくようになったから三本足で歩く。オイディプスがその答えを言い出したため、スフィンクスは恥ずかしさのあまりに投身自殺してしまった。

スフィンクスは、女のように長い髪の毛にしていて、更にライオンの体、鷲の翼、蛇の尻尾を持っている。この人間の頭とライオンの体が一体となった外形には以下のような意味がある。まず、人間にとって形式上で一番重要なのは頭であり、長期間の進化を経て生物的選択をした後、人間の理性がすでに発芽し始まったとことを象徴的に意味している。またライオンの体は、人間が獣から進化してきたものであると証明していて、人間の体にまだ獣の本性が残されていることを意味している。文学倫理学批評では、人間の頭とライオンの体が一体となったという特質をスフィンクスファクターと(Sphinx factor)称する。

「スフィンクスファクター」はヒューマンファクター(human factor)とアニマルファクター(animal factor)という二つの部分からなっている。この二種類のファクターが有機的に組み合わることにより完全な人間が構成される。人間にとっては、この二種類のファクターはどちらでも欠くべからざる存在である。だだし、その中のヒューマンファクターは高級なファクターである一方、アニマルファクターは低級なファクターである。だから、前者は後者を支配することができる。スフィンクスファクターは生物性と理性という二つの角度から、人間の基本的な特徴、つまり人間の体に善悪が共に存在しているということを説明する。獣性だけを持っている人間もいないし、理性だけを持っている人間もいない。文学作品を分析する時、スフィンクスファクターという述語は、われわれの人物に対する理解に非常に役に立つのである。スフィンクスファクターの組み合わせや変化にしたがい、文学作品における人物に様々な行動特徴や性格が現れ、さらに様々な倫理的衝突が引き起こされ、最後に様々な倫理的選択をさせるのである。

ヒューマンファクターすなわち倫理意識は、人間の頭によって体現され、理性的意志を示している。人間の頭は、人間が野蛮の時代から文明の時代へと進化していく過程で生物的選択をしたことの象徴である。それは、外形の生物的な変化を意味するだけでなく、重要なのはそれが倫理意識を内包している点だ。ヒューマンファクターは人間性とは違って、人間性の種とは言えよう。ヒューマンファクターがあってはじめて、人間が倫理意識そして人間性を持つようになり、獣から人間へと移行できるのである。

アニマルファクターはヒューマンファクターと対応する概念であり、人間の根元的欲望に駆り立てられ、自然的意志と自由意志との形式によって表現されている。自然的意志はリビドー(libido)の外在的な表現であるが、自由意志は欲望(desire)の外在的な表現である。アニマルファクターは人間の体に存在する非人間的な部分とはいえ、獣性と同列に扱われるべきではない。動物の体に存在する獣性は、理性でコントロールすることの不可能な、いわば獣性そのものである。

『オイディプス王』においては、なぜオイディプスはスフィンクスの謎に言い当てたのか。それは彼がすでに倫理意識の持つ人間に成長し、自らを獣と区別できるからだ。それなのに、近親相姦と父親殺しの罪を犯してしまった。それは、人間が理性を持つようになっていても体の中にスフィンクスのライオンの下半身によって体現されたアニマルファクターが依然として存在し、根源的欲望に従ったためだ。しかし、スフィンクスは人間の頭を持っている。それによって体現される理性的意志は、アニマルファクターをコントロールすることができる。それに、人間に自分の罪を反省させることもできるのである。だからこそ、オイディプスは自分の深い罪業を意識することができたのである。彼は、深い罪悪感にさいなまれ、自分の目を突き刺すことによって自分を懲らしめた。オイディプスの不幸は、人間が倫理的選択を経て野蛮と蒙昧の時代から歩みだした履歴を悲劇的に教えてくれる。

四、おわりに

2004年から2018年までの14年間の発展を遂げ、文学倫理学批評はすでに中国国内での最も影響力の持つ理論の一つになった。と同時に、国際学界においても広く認められている。アメリカのスタンフォード大学のMarjorie Perloff教授、ペンシルバニア大学のCharles Bernstein教授、ドイツのギーセン大学のAnsgar Nünning教授、イギリスのロンドン大学クイーン・メアリーのGalin Tihanov教授、オーストリアのウィーン大学のVladivir Biti教授、ノルウェーのオスロ大学のKnut Brynhildsvoll教授、韓国の東国大学のYoungmin Kim教授をはじめとする数多くの有力な学者からの肯定的な評価をもらった。2012年、国際文学倫理学批評研究会が成立され、その後中国の上海(2014)、韓国のソウル(2015)、エストニアのタルトゥ(2016)、イギリスのロンドン(2017)において、年会及び国際学術研究討論会を開催してきた。2018年第八回国際文学倫理学批評研究会年会及び国際学術シンポジウムは日本の九州大学が会場責任校として、北九州国際会議場で開催されることになった。今後も、文学倫理学批評は発展し、顕著な成果を挙げるであろう。

【注記】
  • 詳細は、William Baker & Shang Biwu (2015). Fruitful collaborations: Ethical literary criticism in Chinese academe. Times Literary Supplement (No.5861, July 31, 2015). pp 14-15を参照。
  • 聶珍釗「文学倫理学批評:文学批評方法の新探索」「外国文学研究」二00四年十月、十六~二十四頁。
  • 詳細は、エンゲルス「猿が人間になるにあたっての労働の役割」『マルクス・エンゲルス選集』第三巻人民出版社、一九七二年五月を参照。
【付記】
本文における文学倫理学批評に関する論述は、すべて聶珍釗氏の『文学倫理学批評導論』(北京大学出版社、二0一四年)を参照してまとめたものである。
※本稿における英語・中国語文献の引用は、すべて引用者による翻訳である。
作者 任潔(REN Jie)中国華中師範大学文学院
メールアドレス all-mine@163.com